April 28, 2008
夢を追う
ある本に書いてありました。
ヘンリー・フォードは自身の明確な目標に基づいて製品を生み出し、
その製品はわずか30年の間に全米全土を覆い尽くした。
わずか30年・・・
今朝、ワイドショーで初任給の使い道について取り上げていました。
ほとんどの新社会人が
“老後のために”
“いざという時のために”
貯蓄をするそうです。
それはもちろん悪いことではないですよね。
でも・・・、なんかちょっとな~と思いました。
一時の一攫千金IT長者がいつの間にかどこかに消え、
世の中の傾向が再び安定を求めて
年功序列・終身雇用になっていくのでしょうか?
べつに悪いことではないですよね。
でも・・・、なんかちょっとな~と思いました。
新社会人の夢が、『安定した老後』・・・
もう、いっちょアガリですか?
なんとなく、世の中全体に手詰まり感があるような気がします。
みんな難しく考え過ぎじゃないですか?
失敗したってきっと大したことないですよ!
“いざ”っていつですか?
“何かあったとき”って何ですか?
迷わずに自分の目指すところへ突き進みましょうよ!
諦めなければ必ず成功できるんですから・・・。
April 21, 2008
「下」北沢の「上」
小田急小田原線の地下化に伴って、下北沢駅をはさんで
全長2.2kmの区間、広いところで30mくらいの幅で空地が出来るようです。
ここを「跡地」という人たちがいます。
ここを「上部」という人たちがいます。
立場が違えば、見方、言い方が違います。
私のオフィスのすぐそば。
この広大なスペースの今後の利用について
小田急電鉄もお役所も
「まだ明確な計画はない」といっているようです。
本当でしょうか?
そんな間抜けなことがあるのでしょうか?
急行に乗れば、新宿へ2駅、渋谷へ1駅。
こんな便利な場所にできる広大な敷地の利用方法が、いまだ未定?!
一部に駐輪場や公園を配置することはなんとなく決まっているようですが
それもよく分からないらしいです。
April 17, 2008
My hometown ・・・
下北沢はこういう街です。 → LINK
いろいろと、かわろうとしています。
(「かえられそう」と言った方がいいかも)
(「かわる」の漢字変換がどれが適切かわからない)
なぜかそういうタイミングで戻ってきました。
私の事務所&建築BARは交差点の角にあります。
交差点の名称は「下北沢駅入口」
“しもきた” への入口・・・
(しもきた、シモキタ、Shimokita・・・、これもどれが適切かわからない)
何かへの反対運動的なことに参加するのは
やっぱり“私らしく”はない気がします。
でも、ただの傍観者で終わるのもちょっとつまらない。
「街をまもる」なんて、おくがましい。
「街をつくる」なんて、「街は自然にできるんでしょ」とも思う。
街が汚い、放置自転車、防災、・・・
これって、個人のモラルの問題のような気もする。
(ごめんなさい、若い時はずいぶんと“しもきた”に悪戯しました)
何ができるんだろう?
何をしなくてはいけないのだろう?
何が私を “しもきた” へ呼んだのだろう?
きっと何があるのだろう・・・
April 16, 2008
口裂け女
このところ、拙書「家づくり物語」への
感想文のエントリーが続いているので
たまにはくだらない話を一つ。
事務所移転後は、電車での移動が主になった。
先日、家に帰って家族に向かって
「いや~、今日も電車の中は“口裂け女”がたくさんいたな~」
と、くだらないギャグのつもりで呟いたら
「なにそれ?」
と、冷たい切り替えし。
「いやね、マスクつけてる人ばっかりだったなってことですけど」
と少々控えめに返す。
「いや、だから口裂け女ってなに?」
と、予想以上に話が噛み合っていないことを知る。
なるほど。
これだけ花粉症で苦しむ人だらけになると
「口裂け女」伝説は子供達の間では流行らないらしい。
私が子供のころは口裂け女は強烈に怖かった。
小雨の降る夜の住宅街。
周りには僕以外の人は見当たらない。
「なんか、ちょっと怖いな」と少し早足で家路を急ぐ。
いくつか向こうの角から、紅い傘をさした女性が正面に現れた。
徐々に近づいてくる。
すれ違い様、傘の中を見るともなしにチラッと覗き込んだ。
マスクをしていた!
「ギャー、口裂け女だー!!」
と心の中で大声で叫びながら一目散に駆け出した。
なんて話を息子達したところ
「ふっ」と鼻で笑っただけで終わりにされた。
ちょっと、ぐれてやりたい気分になった。
April 15, 2008
April 14, 2008
だから、違うって!
私がいつも助けて頂いている施工会社「大原工務所」の
50周年記念パーティーにご招待いただきました。
出席者はそうそうたる顔ぶれでした。
6割くらいは顔見知りだったろうか。
その人達と挨拶をする度に
「どうお店の方は?」
「繁盛している?」
と聞かれた。
「だから、飲み屋じゃないって!!」
と否定しっぱなし。
う~む、もう一度きちんと伝えなおさなくては・・・。
April 11, 2008
「家づくり物語」 感想文 by Nさん(三重県)
拙書「家づくり物語」への感想文メールを、施主Nさんが書いてくださいました。
このメールを頂いて、アシスタントのyumiが言いました。
「どんなに辛い思いをしたときでも、これを読んだら全部吹っ飛んじゃいますね」
と泣きながら言っていました。
この仕事を続けてきてよかった。
この本を出版してよかった。
と実感できました。
本当はご紹介するのを躊躇いました。
私たちだけの宝にしようと思いました。
でも、もっともっと多くの方に同じような思いをして頂きたいと思い
エントリーすることにしました。
では、施主Nさんの感想文です。
※号泣注意
※文中「PC」とは、プレキャストコンクリートのことです。
※どうだ!うらやましいだろう?!
朝妻さん
おはようございます。
送って頂いた本、昨晩 一気に読んでしまいました。
夢の物語を読んでるようで、引き込まれました。
施主と朝妻さん(Jin)の心というか気持ちを感じる感覚でした。
家って「家族の人生」なんだな・・・
と本を読んで思いました。
「どんな生活が心地よいのか」
カルテの意味がやっとわかりました。
私もずいぶんと盛りだくさんのことを描いたけど、
初めてでわからないから、悔いのないように
全部描くのは、私にはよかったのかもしれません。
その 奥に本当に望んでいることがあるけど、はじめは整理ができない。
造っていくうちに見えてくるものですね。
「欲しい? 必要?と自分に問う」 うーん 家づくり 以外でも
これは人の心の真理なんだろうな・・・
「内装の化粧がない分 大工さんの苦労は大変だった」
ん? 我が家のことかしら と思いました。
ベニアの壁が、ボルトの一部ののぞき形状や、
PCパネルの外形の通りに細かく加工されて丁寧に作ってある。
「さぞかし 大変だっただろな」 と思うのです。
柱の鉛筆のマーク「外」とか「もくネジの位置+」とか「階段の傾斜のライン線」とかも造ってくれた方の「大切な気持ち」として消さずにとっておきたいのです。
ほんとうにできるのか・・・から2年。
この家は ”家族” になりました。
私も、自分の家族が心地よい家を
皆さんのおかげさまで実現できました。
朝妻さんへのメール、コンペの思い出、建築家のみなさんの私たち家族への想い
実物にするための朝妻さんや大原さん、辻さん、みなさんの私たちへの想い
その暖かさをこの家には感じるのです。
みなさんの愛情を感じるのです。
感謝です。
本に書かれていたよういに、
一人一人の方とお話をしながら、考えながら造っていったからこそ、
私たち家族に「この家は家族、造っていただいた皆さんも家族」
という気持ちが心に宿るのだと思います。
これから、この家に家族の人生の思い出を重ねていきたい。
振り返ると、自分が育った家(今はもうありません)が、私の記憶のなかに
たくさんの思い出の映像が残っています。
大切な私の人生です。
この家にもこれから家族の大切な思い出をと願ってます。
昨晩、PCの壁に枝里子がいたずら書きをしたのを見つけました。
子供の机の脇です。
枝里子に「えりこ 10才」って書いて とお願いしました。
きっと子供が大きくなって、この家を巣立っていっても
落書きがえりこの10才のこの瞬間の人生の大切な思い出として
私の中に残るとおもうのです。
家は 家族。
”新しい家族”を大切に生み育てる気持ちの人の縁でゼロからできた。
プロセスが私たち家族の人生の大切な思い出になっている。
本を読んで改めて発見しました。
そのすばらしさを次の人たちに伝えるのがミッション。
そうですね。
人生って、家ってすばらい!! って多くの人に 感じてほしい。
朝妻さんの気持ちが伝わる本でした。
※是非是非 夏に 我が家にお越しください。
朝妻さん、田中さん、遠藤さんたち、大原さん、辻さん皆さんで
来ていただけると、とてもうれしいです。
家族みんなでお待ちしてます。
家族は この家が大好きです。
April 9, 2008
「ビニール傘」 でちょっと思った。
昨日は、東京地方は暴風雨に見まわれた。
雨量はそれほどもなかった気もするが
とにかく風が強かった。
事務所を しもきた に移してから
電車通勤をしている。
あまりの風の強さに、傘をさすのも馬鹿らしくなるくらいだった。
出所前に、六本木に野暮用で立ち寄り、しもきたへ。
その間、駅へので出入り口を数ヶ所通過。
その度ごとに、骨だけとなった傘が無残に投げ捨てられていた。
あっちにも、こっちにも。 行く先々で。
そこでちょっと思った。
環境問題、エコ、モラル・・・。
大昔は、傘の張替えなんて商売も確かあったと思う。
まあ、「ビニール傘も張り替えて使いましょう」とは
言わないまでも、なにもそこら辺にブン投げるのは如何なのもか。
100円だから?
そもそも長く使うつもりもないから?
使い手も、つくり手もその程度にしか考えていないかもしれない。
この国は、スクラップ&ビルドで成り立っているのだろうと
なんとも悲しげな傘の残骸を見て感じてしまった。
そして、200年住宅という単語を見る機会が増えた。
どうなることやら・・・?
April 8, 2008
April 5, 2008
「家づくり物語」 感想BLOG by garaikaさん
拙書「家づくり物語」への感想文&広告を
友人(私のことをそう呼んでくれたことが嬉しかった)のgaraikaさんが書いてくれました。
→ garaikaさんのBLOG 「家づくり、行ったり来たり」
April 4, 2008
朝妻義征は建築プロデューサーです!
仕事は変えてません!
事務所移転に伴い
どうも変な誤解が蔓延しているようですので
改めて宣言します。
私は建築プロデューサーです!
「建築BAR」は純粋な飲み屋さんではありません。
→ リンク
つまり、何かを創造するためには
まずは十分な対話をすることが何よりも必要であると
これまでの経験でとても強く感じておりました。
だからこそ、以前の代官山の事務所よりも
よりじっくりとお話ができる雰囲気をつくたい、
そういう場所が必要だと感じました。
繰り返します。
私、朝妻義征は建築プロデューサーです。
この道一筋十三年!! 今後も精進してまいります。