Column

家づくりについてのひとり言 (3/4)

今日、雑誌などで様々な住宅が紹介されてはいますが、それ以外にももっと素晴らしいものもたくさんあるはずです。 しかし、一般の人にはそこに出ているものか、メーカーの宣伝広告や展示場にあるものが「家」の基本になっているのかもしれません。 それではあまりにも選択肢が少なすぎるのではないでしょうか。 そして、また、「家づくり」における工事の金額の不透明なところは、いつになったらなくなるのでしょうか。 予算が「¥○○万円」と決まっていればそれにあわせた見積を作成し、予算が「まだはっきりとしない」ならば全体に少しづつ高めの見積をつくる、など施主の顔色を見ながら探りを入れるようなことが、今でも当たり前のように行われています。

私は車に乗って町中を走っている時、1日の内に何回か、誰のだかわからない家の前でしばらく眺めている時があります。 それは、時には「豪邸」もありますが、ほとんどの場合が住宅密集地の中に建っているもので「おっ?!」と思うものです。 かたちそのものが変っているもの、よく見てみると「なるほどな」と感心するもの、「少し凝りすぎているな」と首を傾げるもの、素直に「すごい」と思うもの、などいろいろあります。 「いったいどんな人が住んでいるんだろう」と、勝手に想像したりすることもあります。 そして、そういう「家」はやはり建築家といっしょにつくったものなのだろうとも考えます。 また、たまには住宅展示場に行くこともあります。 さすがに良く研究しているようでも、何軒か回っている内に「これはどこのメーカーだったけ?」と分からなくなったりしますし、「こんなに大きな家、誰がつくるんだろうか?」と思うこともあります。 別に私はハウスメーカーを否定するわけではありませんが、施主は「家をつくる」と考えているのに対し、メーカーの方では「家を売る」ことしかを考えていない様に思うだけです。 広告にしても「性能と値段」が前面に出すぎて、まるで自動車の宣伝のようです。 確かに一般の人にアピールするにはそれが一番わかりやすいでしょうが、それならオプションについても車と同じようにきちんとするべきです。 工事費についても、大量生産しているのだから、もっと安くてもいいのではないでしょうか。 しかし、そういうものを多くの人が認めているということは、やはり「大企業なら心配ない」という安心も一緒に買っているのでしょうか。

そう言えば、「プレファブメーカー」という呼び方はいつなくなったのでしょう?

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